憲法問題を考える

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憲法とは?

石原「憲法と聞くと、とても日常の生活からは遠い存在の様に感じますが、一般的には憲法は、あらゆる法律の元、基礎となる法規範に思えるのですが、憲法とはいったいどの様なものなのでしょうか?」

山本「そうですね。確かにこれまでのイメージでは「憲法」は我々から遠い存在のような気がします。しかし、こう考えてはどうでしょうか、憲法とは、”番犬を繋いでおく首輪であり、リード(紐(ひも))である”と。

番犬は、普段は飼い主を守ってくれます。それどころか、飼い主にとって、可愛い良きパートナーになることもあるでしょう。しかし、時と場合によっては、言うことを聞かないで脱走を試みたり、それならばまだ良いのですが、飼い主を噛んでしまう”猛犬”になってしまうことも考えられますよね。だからこそ、「首輪とリード」で繋いでおく訳です。

さて、このことがどう「憲法」に結びつくのでしょうか。番犬を「国家」、飼い主を「国民」と考えてみてください。「国家」というイメージが湧かないのであれば、小泉首相をはじめとする、”国の偉い人達”と考えていただいても良いです。彼ら”国の偉い人達”は、普段は「番犬」として、「飼い主」である我々「国民」の自由や安全を守るために日々頑張ってくれているはずです。

しかし、彼らが、常に「飼い主」の自由や安全を守ってくれるという「保証」はあるのでしょうか。彼らは、隣町までいって、知らない住民をガブッとやってしまったり、本当は我々を守るための「牙」を、我々をガブッとやるために使うかもしれません。そうだとすると、やっぱり彼らにも「首輪とリード」を付けておいた方が良いですよね。それが、「憲法」なのです。要するに、小泉さんをはじめ、国の偉い人達の首には、「憲法」という目に見えない「首輪とリード」がついている訳です。
例え、Aという首相が誕生し、軍をつくって侵略戦争を始めちゃおう、と考えても、あるいは、A首相が「ロン毛」が嫌いで、「ロン毛」を「法律」で一切禁止しようとしても、憲法という「首輪とリード」が、それを防いでくれる訳です。」

石原「とても分かりやすかったのですが、もう少し専門的に説明して頂けますか。」

山本「少し大胆な説明をしすぎました。もう少し学問的に説明してみましょう。教科書的には、国家権力を制限して、国民の権利・自由を守るための法規範などと説明されます。普段は「国民」の権利と自由を守ってくれるはずの「国家」でも、時に暴走することがある(ホッブスという政治思想家は「国家」を「リヴァイアサン=怪物」と呼びました)。だからこそ、「国家」の上にも「憲法」を置いて、彼らを縛っておく必要があるのです。とても強い権力をもつ国家でも、憲法という「法」に服するのだ。これを「立憲主義」とか、「法の支配」などと呼んだりもします。  勿論、ここまでの説明で、我々の生活にどれほど憲法が密着しているかは分かりませんね。ただ、一つ重要なことを指摘しておかなければなりません。それは、憲法はあくまで「国家権力」を縛る「首輪とリード」であって、我々国民を縛るものではない、ということです。むしろ、国民は、憲法によって権利と自由を保障されているわけです。ですから、例えば、国会が、漫画は教育上良くない、一切禁止してしまえ、という法律をつくったとしても、それは憲法に書かれた「表現の自由(あるいは知る権利)」に反し(法律や処分が憲法に反することを「違憲」といいます)、効力を失うことになるのでしょう。つまり、漫画を読む、というような、我々の”ちょっとした楽しみ”が「法律」などによって規制されてしまうような場合、憲法はそれを救済してくれる可能性があるのです。その意味で、憲法は我々の側にあるもの、といえます。少し身近に感じられるでしょうか?国会議員は、国民に選挙で選ばれ「法律」をつくる権限を持っていますが、それとて「憲法」という「首輪とリード」に縛られている訳です、石原さんがおっしゃったように、その意味で「憲法」は「法律」の基礎なのです。」