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憲法改正を行う理由

石原「憲法改正の理由として、現行憲法は昭和終戦時アメリカ政府により起草された憲法だから日本人独自の憲法を作る必要があるとか、国際貢献の観点から国連中心の多国籍軍に参加するために憲法第9条の改正が必要であるとか、環境権を憲法に記載する必要があるとか言われていますが、今、何故、憲法改正の議論が高まっているのでしょうか?そして、憲法改正についての考え方、そして論点となる部分はどんな点なのでしょうか?」

山本「今の日本国憲法が施行されて、まもなく60年を迎えようとしています。憲法改正の必要性は、この”年数”をどうみるかに係わっているように思います。先ほどの例でいうと、日本という国家の「首輪とリード」は、もう約60年も同じものが使い古されているわけです。ですから、もう相当ボロがきているという見方も成り立つでしょう。すなわち、現代にはマッチしない、だから新しいものに取り替えよう、あるいは、所々補修しよう、という声が出てきても可笑しくありません。憲法という「首輪とリード」の操り手・作り手は、「国家」(国の偉い人)ではなく、あくまでも「国民」ですから、我々国民が、今の「首輪とリード」がどうしてもしっくりこない、と思えば、それを変える、ということも一つの方法といえるでしょう。」

石原 「「しっくりこない」というのは具体的にどういうことですか?」

山本「現在、「どうもしっくりこない」、「変えたほうがいいのではないか」と言われている代表格は、ご指摘の通り、「戦力」の不保持を定め、「集団的自衛権」を禁止していると言われる第9条でしょう。より積極的な国際貢献のために、今の第9条が重荷になっていると考える立場からは、もう少し9条という「リード」を緩めた方が良いと考えるのでしょう。勿論、ご存知のように、それには異論もあるところです。

他に、首相を国会議員が選べるとする第67条などが問題となります。首相を国民が直接選べるとする首相公選制を推す立場からは、第67条を変えたほうが良いと考えるかもしれません。さらに、今の「首輪とリード」では、現代の情報化社会、科学技術等の急速な発展に十分に対応できないのではないか、と考える立場もあります。このような立場からは、プライバシー権(自己情報コントロール権)、環境権といった「新しい人権」を書き加えた方が良い、遺伝子操作やクローン技術等を適正に規制出来るように、「学問の自由」(第23条)を見直した方がよい、テロ組織などをより実効的に捜査出来るように。「結社の自由」(第21条)などの規定を見直した方がよいと考えるかもしれません。

勿論、これ以外にも「しっくりこない」条文があるかもしれません。しかし、どんな”番犬”が好みか(よく吠える犬か、飼い主に懐く犬か)について人それぞれ違うように、どんな「国家」が好みかについても人それぞれ違うはずです。従って、今の憲法のどんな点に「しくっりこないか」は、それぞれの拠って立つ国家観、価値観によって大きく異なるでしょう。憲法改正を規定している第96条は、一部の人の「好み」によって「首輪とリード」が簡単に変えられてしまわないよう、普通の法律より難しい改正手続きを課しています(これを「硬性憲法」といいます)。それは、価値の多元性を認める現代においては、特に重要な意味を持つでしょう。

また、少し話は逸しますが、「しっくりこない」という違和感を、「憲法改正」とは別の方法で解消しようとするアプローチもありえると思います。「首輪とリード」は同じものでも、飼い主である我々国民の操り方次第で、番犬は元気になったりおとなしくなったりもするからです。

いずれにしても、「国家」を縛る「首輪とリード」は、我々国民にとって、とても重要なものです。それをどう変えるかで、番犬は我々の権利や自由をよりよく守ってくれることも、その隠れた牙で、我々の権利や自由を奪うこともありうるからです。」

憲法を考えることが政治を考えること

石原「山本さんのお話をお聞きすると、憲法は、国家が国民の権利・自由を守るために国民と結ぶ契約といった存在である様に思えたのですが、それなら本当に国民一人一人にとって大切なものなのですね。最近では国民の権利を守るという側面だけではなく、国民の義務も憲法の中に、しっかりと明記すべきだという議論があります。いずれにしても、山本さんが言われる様に、国民は憲法という「首輪とリード」の作り手であり、操り手なのですから、一人一人が憲法について考え、自分自身の憲法をしっかり持つことが、政治を考えることなんだなと感じました。これから毎月、これからの日本の将来を方向づける憲法改正の論点について議論を交わして行きたいと思いますが、宜しくお願いします。」