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押し付け憲法論について

日本国憲法の制定過程

石原「今回は、前回の予告通り、『押し付け憲法論』について議論しましょう。まず、『押し付け憲法論』とはどういうもの説明して頂けますか。」

山本「はい。『押し付け憲法論』をごくごく簡単に言えば、『いまの憲法は、戦後の占領下に総司令部(特にマッカーサー)に押し付けられたものだ。だから無効だ』というものでしょう。要するに、日本国憲法の制定過程に着目する見解です。」

石原「なるほど。少し制定過程を説明して下さい。」

山本「ええ。では、制定過程を4段階に分けて説明しましょう。
『終戦期』→『日本・対応期』→『総司令部・押し付け期』→『意外と民主的な(?)改正期』の4つです。

以下のように、それぞれ年表化してみます。」

[経緯A 終戦期]
1945年8月14日 ポツダム宣言の受諾(*1)

[経緯B 日本・対応期(*2)]
1945年10月11日 連合国総司令官マッカーサー、幣原首相に対し、ポツダム宣言実施のために憲法改正が必要であることを示唆
10月25日 松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題委員会(松本委員会)設置
1946年2月1日 松本改正案、正式発表前に、毎日新聞によりスクープ(正確には宮沢甲案(*3) )。

[経緯C 総司令部・押し付け期]
1946年2月13日 総司令部、日本政府に対し、いわゆる「マッカーサー草案」を提示。これは、総司令部が松本改正案の「保守的な内容に驚いた」からだと指摘されている。松本改正案は、自由主義及び民主主義をある程度強化する内容ではあったが、天皇主権を維持し、枢密院などを残そうとする保守的な部分的な改正案であった。これに対しマッカーサー草案は、(1)天皇制の存続、(2)戦争放棄、戦力不保持(*4) 、交戦権の否認、(3)封建制度の廃止、貴族制の改革という、いわゆる「マッカーサー三原則(マッカーサー・ノートとも言う)」を指示していた(*5)
2月25日 日本政府、マッカーサー草案を受諾
3月2日 日本政府、マッカーサー草案を基礎とした「3月2日案」を作成

[経緯D 意外と民主的な(?)改正期]
1946年3月6日 「憲法改正草案要綱」を閣議決定。国民に公表
4月10日 憲法改正を争点とする衆議院総選挙
4月17日 草案要綱を口語化した憲法改正草案の公表
11月3日 日本国憲法の公布。なお、議会における公布までの過程は、明治憲法73条の改正手続に従って進められた。なお、草案は、衆議院では約2ヶ月、貴族院では約1ヶ月半の審議を経ており、前者では421対8、後者では298対2という「圧倒的多数」によって可決されている
1947年5月3日 日本国憲法施行

昭和21年2月1日付毎日新聞

押し付けか否か?

石原「なるほど、『押し付け憲法論』が注目するのは経緯Cの部分だね。」

山本「はい。経緯Cには、確かに『押し付け』と思われる節があります。例えば、1946年2月13日の総司令部によるマッカーサー案の提示は、当時の政府指導者から見れば、『提示』なんていうソフトなものではなく『脅迫』だ、と感じられたことでしょう。
実際、松本大臣は、総司令部よりマッカーサー草案が『提示』された際、『この案は天皇反対者から天皇のパーソンを守る唯一の方法である』といわれたと報告しています(*6)。」

石原「つまり、マッカーサー草案に則った改正案を出さない限り、天皇の身体は保障できないことが示唆されたわけだよね。確かに『脅し』に近いね。」

山本「はっきり言って『脅し』ですよね、これ。」

石原「これだと、現行の日本国憲法が総司令部により「押し付けられた」非自主的な憲法であり、無効であるとの主張も成り立ちそうな気がする。 」

昭和21年3月7日付毎日新聞(*7)

山本「ただ、注目してもらいたいのは、経緯Dで表した実際の改正手続です。まず、3月6日に、マッカーサー草案を下敷きにした「憲法改正草案要綱」が閣議決定され、これが国民に公表されています。これによれば、既に3月6日の時点で、国民は草案の要綱を『知っている』ことになる。もっと言えば、その前から、国民は『戦争に負けたこと』、日本が変わらなければならないことを嫌でも『知らされていた』訳です。」

石原「まぁ、確かにそうだよね。」

山本「さらに経緯Dを注意深く見ると、その後の4月10日、この改正を一大争点にした衆議院選挙を行っている。しかも、この選挙は、性別を要件としない日本で初めての完全普通選挙でした(*8)。」

石原「なるほど。この選挙で「民主的に」選ばれた議員によって(*9) 、しかも両院における十分な審議を尽くして憲法改正案は可決されっていうこと?」

山本「はい。そう考えれば、憲法改正案が確かに総司令部に『押し付けられた』ものであるとしても、それを当時の国民が『民主的』に『承認』したという風にも読める。
  だとすると、トータルでみれば『押し付け憲法』とまでは言えない可能性もあります。例えば、定評ある憲法の教科書は、現行憲法が『押し付けでない』ことを示す根拠として、『完全な普通選挙により憲法改正案を審議するための特別議会が国民によって直接選挙され、審議の自由に対する法的な拘束のない状況の下で草案が審議され可決されたこと』を挙げています(*10)。」

石原「その意見には納得できないな。形式的にみれば、確かに『民主的』かもしれないけど、実質的にはやっぱり『押し付け』でしょ。『法的な拘束』がなくても『事実上の拘束』はあるはず。」

山本「おっしゃることはわかります。確かに、実際にはまだ占領下だったわけですからね。ちなみに占領はサンフランシスコ平和条約が発効する1952年まで続いています(*11)。 」

石原「そういう特殊な状況において、国民は本当に自律的な判断に基づいて選挙したのか、また、議会は『法的拘束』なく審議したとしても、本当に『自由』な審議を行えたのか?もし占領下で自律的な判断が下せなかったのであれば、『押し付け憲法論』は憲法学的にも有力ってことになるんじゃないの?」

山本「う~ん。必ずしもそうじゃないと思いますね。先ほどお話した通り、ある見方からすれば、確かに主権者たる国民の意思が働いたとみることもできる。先に出した教科書では、『当時公表された在野の知識人による憲法草案や世論調査からすると、マッカーサー草案発表前後の時期には、かなり多くの国民が日本国民の価値体系に近い憲法意識をもっていたと言えること、そして、政府も帝国議会における審議の段階では、マッカーサー草案の基本線を積極的に支持していたこと』が指摘されています(*12)。さらに、議会の審議の過程では、日本側独自の修正もなされています。代表的なものとしては、9条1項に『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し』を加え、2項に『前項の目的を達するため』という文言を挿入した『芦田修正』、社会党の提案による第25条・生存権規定が挙げられます(*13)。 」

石原「なるほど。ある程度日本オリジナルの決断もなされた、と。」

山本「ええ。ただ、確かに石原さんが指摘する通り、『怪しさ』は残りますよね。そこで、我々『若手』は、さらに一歩進めた考察をしなければならないと思うのです。」

一歩進んだ議論――憲法の「正統性」

石原「それは?」

山本「少し法哲学的になりますが、憲法の『正統性(legitimacy)』の問題です。つまり、なぜ我々は現行の『日本国憲法』に従うのか、という問題です。押し付け憲法論のポイントは、憲法は総司令部によって『押し付けられた』ものだから日本の憲法としての『正統性』がない、という主張です(*14)。」

石原「正統性がないから『無効』という主張だよね。」

山本「ええ、要するに、『我々』が作ってない憲法には日本国憲法としての『正統性』がない。突き詰めていけば『民主的正統性』の欠如を言っているわけです。ただ、これは僕の私見ですが、民主的正統性は、制定以後も吹き込まれることがあると思うのです。憲法は抽象的な規範ですから、その具体的な意味内容は、制定以後の後続世代が確定していかざるをえない。つまり、いまの世代に生きる『我々』が、『我々の憲法とは何か』について絶えず討議することによって、憲法の民主的正統性は常態的に吹き込まれていくと思うのです(*15) 。」

石原「だから従える、ということ? なかなか難しい議論だね。」

山本「これはハーバードのマイクルマン(F. Michelman)という憲法学者や、ドイツの社会的学者のハーバーマス(J. Habermas)が言っている議論なのですが、確かにかなり抽象的な議論です。ここでは、僕らが自分たちの憲法について討議することが重要である、ということを覚えていればいいと思います(*16)。そこで、もう一つ別の正統性を考えてみましょう。例えば石原さんは、『押し付けられたけど、よい憲法』と、『自分たちでつくったけど、悪い憲法』だったら、どちらに従います? 究極の選択で…。」

石原「難しい選択だね。」

山本「では、これはどうですか? 石原さんが、オリジナルの目覚まし時計をつくろうと思って、自分で一生懸命目覚ましの曲を吹き込む。一方、誰かが目覚まし時計を送りつけてきた。そうしたら、その『押し付け』目覚まし時計には宇多田ヒカルの曲が入っていた。石原さんはどっちで起床することにします?」

石原「僕、歌うまいから前者かな(笑)。」

山本「なるほど(笑)。少なくとも僕であれば、『自分で吹き込んではみたものの、ひどい歌』で目覚めるより、『誰かに押し付けられたけど、それがたまたま宇多田ヒカル』であれば、後者を選びますね。そのほうが快適。僕、そんなに歌うまくないですから(笑)。少なくとも現行憲法は、近代憲法の一般原理に沿うものです。ですから、制定手続に『押し付けられた』部分があるとしても、我々はそれに従うよい『理由(reason)』を有しているとも考えることができるわけです(*17)。とにかく、気持ちよく目覚めることが重要なんだ、と。」

石原「山本さんがおっしゃるのは、要するに憲法の正統性は、誰が作ったか、ということと共に、その憲法が何を言っているのか、我々に何をもたらしてくれるか、という点にも依存しているということだよね。誰が作ったっていいものはいいと。でも、実際にはそんな抽象論で割り切れないよ。今の民主主義の社会では、いろいろな価値観をもった人がいる。さっきの例えで言えば、宇多田ヒカルの歌がうまいって、誰がどうやって判断するのか、それでみんな納得するのか、っていう問題があるんじゃないかな。『モーニング娘。の歌の方がうまい』っていう人もいるだろうし(笑)。
僕は、これからの日本においては『自立』という言葉がキーワードになると思うんだ。社会において個々人が自立するということもあるけど、日本が国家として自することが重要。今の憲法が『よい憲法』なのか、あるべき憲法はどういうものなのか、という判断が正当性を持つには、自立した日本国民自身がその判断を行った、ということしかないんじゃないかな。『押し付け』なのかどうかだけではなくて、そういう観点から、今の憲法の『内容』をこの機会に国民自身が自分達の問題として見なおす必要があると思う。僕もそのための問題提起をどんどんしていきたいと思っているんだ。」

山本「確かにそうですね。実は、押し付け憲法論の主張を詳しく見ると、総司令部によって『押し付けられた』という制定手続上の問題よりも、内容的な正統性を問題にしている場合が多々あります。そうであるとすれば、それは、『押し付けられた・手続上の瑕疵があった→だから無効』という短絡的な『押し付け憲法論』とは別モノで  あり、じっくり検討する余地があるように思えます。要するに、そこでは立憲主義的な『内容』が問われているわけですから。」

石原「しかも、現行憲法が『本当に押し付けられたのか』、あるいは逆に、『本当に国民の自律的な判断があったのか』は、今は立証困難だよね。だとすれば、結局は現行憲法の『内容』に着目した議論をする方が生産的だと思う。今後は、このような制定経緯を踏まえつつも、憲法の内容に向けた各論的議論を交わしていきましょう。」

*1 ポツダム宣言では、「民主主義的傾向の復活強化」と「言論、宗教、および思想の自由並に基本的人権の尊重」の確立を規定した第10項と、「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ、平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せらるる」ことを規定した第12項が重要である。

*2 政府は、ポツダム宣言の基本方針を実現するに当たって、「部分的な手直しで十分に対応でき、またそうしなければならない」と考えていた。つまり、日本側は明治憲法の大幅な改正を考えていなかった。大沢秀介『憲法〔第3版〕』(成文堂、2003年)15頁。

*3 毎日新聞がスクープしたのは、実際には、松本委員会に参加していた宮沢俊義教授主導の、よりリベラルな内容を有する「甲案」と呼ばれるものであったと言われている。長谷部恭男『憲法〔第2版〕』(新世社、2001年)52頁。

*4 ここでは、「自国の安全を保持する手段としても」戦争を放棄することが謳われている。ただ、この文言は、総司令部民政局で削られている。

*5 (4)として、「予算の型は、イギリスの制度にならうこと」が付加されている。

*6 佐藤幸治『憲法〔第3版〕』(青林書院、1995年)74頁。なお、日本側は、2月13日にセッティングされていた「会談はいわゆる松本案を説明するためのものと思い込んでいたから、松本や吉田は非常に驚き、一瞬色を失ったらしい」。大石眞『日本憲法史』(有斐閣、 1996 年)」 276 頁。

*7 大石教授は、「『憲法改正草案要綱』に接した時の国民の驚きには想像以上のものがある」とし、「各省からも問い合わせが殺到した」と述べている。大石・前掲 280 頁。

*8 女性の参政権は、1945年の第89回帝国議会の選挙法改正で認められた。

*9 この第90回帝国議会を、「憲法議会」(制憲議会)と呼ぶことがある。

*10 芦部信喜『憲法』(岩波書店)

*11 対日講和条約のこと。1951年9月締結。1952年4月発効。

*12 芦部・前掲28頁。他に、「極東委員会からの指示で、憲法施行一年後二年以内に改正の要否につき検討する機会を与えられながら、まったく改正の要なしという態度をとったこと」、施行以来、「憲法の基本原理が国民の間に定着してきているという社会的事実が広く認められること」などが挙げられている。

*13 大石・前掲287頁。

*14 なお、状況は異なるが、アメリカ憲法にも「押し付け」の歴史はある。周知のように、アメリカ憲法は、南北戦争後に、白人と黒人の平等を重視する方向で大きな憲法改正をしているが、このとき、南北戦争に負けた南部の諸州は、「再建(Reconstruction)」の条件として、北部から無理やりこの改正を飲ませられた経緯がある。ただ、これを理由に今の憲法は正統性がない、無効だ、という主張はあまり聞かれない。

*15 なお別の立論も可能である。例えば、現行憲法が妥当している根拠として、社会的な「受容」を挙げることも不可能ではない。

*16 このような考えを「討議民主主義」とか、「熟議の民主政」と言うことがある。

*17 なお、国家の役割の一つに、「調整」がある。例えば、信号の赤は止まれ、青は進め、というのを予め「決めておく」ことが重要な場合がある。青が止まれでも赤が進めでも本来はどちらでもいい。交通秩序を維持するためには、どちらかに『決めておく』ことが重要なのである。議員の任期など、現行憲法でも『調整』のためのルールはあるが(憲法 45 ・ 46 条)、これらは『決めておく』ことが重要なのであって、それに従う根拠として、『誰が決めたか』はそれほど重要ではない。長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、 2004 年)